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3.11震災から15年

今朝の玉野、気温マイナス3℃と寒い朝

日差しが力強くなっていて春はもうすぐ

今日は東日本大震災から15年目

以前のブログから写真を抜粋して当時を振り返ってみます。

玉野地区の区長たちが弊社に修吾して地べたでの緊急会議

市役所に今後の要望を伝えに区長たちと・・

震災直後に停電になり、乳牛の搾乳する機会が使えなくなって困り果てていた・・・。

酪農家7件の搾乳の為、弊社所有の発電機3台を使って社員達も集まって来て、朝晩の搾乳を移動させつつ進めた・・

今思えば自分の家には発電機は全て使っているので電気も無く家族には辛い思いをさせてしまっていたが、困り果てた酪農家を見捨てる訳には行かないのでよかったと解釈している。

震災次の日、車のテレビを見て大津波で大変な状況になっているのを見て

浜に出掛けた。

この時は、原発の爆発は無かったがその後に爆発して相馬の街から人々が他所の地区に避難してしまっていた。因みに弊社の相馬工場の消防団員の広報中に津波にのまれた社員一人と社員の妻が津波の犠牲になっている。

日本全国から捜索の応援に沢山の車両が115号を通過していた。

そして、石油危機

何処のスタンドもガソリンが不足していて、近所のJAスタンドには100台もの行列が出来た。

因みに1台に付き2000円分だった気がする。

15年目を迎える今日、商工会議所主催によるヒコバエの映画が上映される。

消防団の広報中の出来事などの物語だそうで、6時からの開演だ。

昨日も地震が有り、頻繁に起きる自然災害だったり紛争が増え続けているのだが、幸い現在は幸せな生活を営む事が出来ているので平和に感謝しなくては・・・・

写真は宮城県亘理町の海岸付近に誰が掲揚したのか破れかかった日の丸に勇気を頂いたので、今でも心に残っていて大事に保存している大好きな一枚だ。

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