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霊山の麓

今朝の玉野、気温マイナス5度と今日も寒い朝だ。

薄っすらと雪が被っている路面

滑るので歩くのも命がけ・・・。

相馬工場からの帰路

東北中央道路を玉野インターで降りて、伊達市と相馬市の境のツララが芸術的な手掘りのトンネルを抜けると・・・

木の葉が茂っていないので、小高い位置からは表霊山の全容が浮かび上がる・・・。

霊山の山には戦後の米軍の電波基地や天台宗の寺院遺跡の二つ岩等も目視で確認できる。

ドカーンと勇壮な霊山が大地にそびえている・・・。

玉野学校の校歌に霊山の麓玉野小と言う歌詞があるように霊山の麓を実感させる写真だが実際は霊山の麓まではかなりの距離が有るのだが写真だと霊山が迫っているように映るのだ。

1200年前に天台宗の寺院が有って大凡300もの宿坊が有ったとされ、その後後醍醐天皇の時代に東北の国府が宮城県の多賀城にあったのが、南北朝戦争の状況が悪くなって国府を霊山の山頂に移し、その後霊山から京都に出兵して、土地勇で北郡に打ち負かされ、その数年後に北軍によって霊山城や霊山寺など全てを焼き討ちにしてしまい、当時の資料が一切残っていないのだ。ただ、遺跡の発掘などによって解明される部分も多々あり、日本の歴史が塗り替えられるほど貴重な歴史が残っているのだが、霊山の半分は伊達市で霊山の歴史などは伊達市で管理下に置いていて相馬市は一切携わっておらず重要な霊山の歴史は置きざれにされているのが現状なのだ。

ついでに・・・。

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